ルノワールの世界 > ルノワールと印象派 > ルノワール年表
モネとならぶ印象派の代表的画家として活躍したルノアールの生涯を年表形式でまとめています。
| 1840年 | フランス中南部のリモージュにて、仕立て屋の六男として生まれる。決して裕福ではない家庭である。 |
| 1843年 | 3歳の時、一家でパリに移住する。よりよい生活を求めてのことである。 |
| 1850年 | 13歳になったとき、父親に陶器の絵付け職人の所に徒弟奉公に出される。 しかし、産業革命、機械化の影響は伝統的な磁器絵付けの世界にも影響し、職人としての仕事を失うこととなる。 そこで、家族の生活を助けるため、扇子の絵付けや鎧戸のペンキ塗りの仕事をする。 同時に、夜間のデッサン教室に通い、またルーブル美術館で名画を鑑賞するようになる。 |
| 1862年 | エコール・デ・ボザール(官立美術学校)に入学。 のちグレールのアトリエ(画塾)に入り、モネ、シスレー、バジールらと知り合う。 やがて、彼らを中心にして印象派のグループが形成されることとなる。 |
| 1874年 | 印象派展の第1回展が開催される。 他の印象派の画家たちと同様、風景画も制作したが、特に人物を好んで描き、裸婦像、少女像などを得意とした。 なお、印象派展は第1回と第3回に出品している。 他の印象派の画家と違って、ルノワールの絵は好評であった。 サロンに入選を果たしたためか、その後、印象派展からは遠ざかった。 |
| 1880年〜 | 光の効果におぼれ形態を見失った印象派の技法に疑問を持ち始める。 |
| 1881年 | イタリアへ旅行をする。 ラファエロやアングルの線を研究。「大水浴図」の制作に没頭する。 この時期を過ぎると、印象派の色彩と古典主義的な形態を結びつけた独特の様式が生まれる。 |
| 1883年〜 | 新古典派の巨匠アングルの影響が顕著で、明快な形態、硬い輪郭線、冷たい色調が目立つ。 |
| 1885年 | 長男ピエール(後に俳優となる)誕生 |
| 1880年代後半 | 輪郭線と色、両方を生かす真珠色の時代の様式へと変化。 |
| 1890年 | アリーヌと正式に結婚 この頃から暖かい色調が戻り、豊満なヌードを数多く描いた。 |
| 1894年 | 次男ジャン(後に有名な映画監督となる)誕生 |
| 1898年頃 | リューマチ性疾患に悩まされ、晩年は車椅子で制作を続けた。 ルノワールは日本にも早くから紹介され、その親しみやすい画風のためか愛好者も多い。 また、梅原龍三郎をはじめ多くの画家に直接・間接に影響を与えている。 |
| 1900年〜 | 晩年は南フランスのカーニュに住み、1919年に没するまで絵を描き続ける。 |