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2006年09月 アーカイブ

2006年09月09日

プリハード世界の名画とは?

「プリハード世界の名画」とはルーブル美術館のミュージアム・ショップでも実際に販売されている世界の絵画の複製画です。

従来の紙製の複製画と違って、キャンバス地の風合いはもちろん絵具による微妙な陰影までリアルに再現できるのが特徴です。

従来、ルーブル美術館で販売されている紙製の複製画や額絵類は、フランス国立美術館連合の発注によりフランス国内で制作されています。

「プリハード世界の名画」は日本国内で制作された複製画として初めてルーブル美術館に採用されました。
また、キャンバス複製画が販売されたのも「プリハード世界の名画」が初めての事です。

つまり、プリハード世界の名画の高い品質がルーブル美術館に認められたということです。

貴方の身近にルノワールを・・・

ルーブル美術館に認められた最高品質のルノワールの複製画を貴方の身近においてみませんか?

春の花 1866年

春の花 ルノワール

1864年から亡くなるまでルノワールは数々の花の絵を描いている。

ルノワールは、それらの絵ではモデルの存在による緊張感を感じることなく様々な問題を解決できるように感じていた。

ルノアールはこの作品で自分をクールベの支配から解放しはじめており、数点の花の絵でパレットナイフを試したあとでたっぷり絵の具をつけた筆の使用に戻っている。

大量の花々と満開のバラやアイリスがもたらす豊かな感覚はオランダの巨匠達を作品を連想させると共に、描くことに対するルノワールの純粋な喜びが感じられる。

ピアノを弾く婦人 1875年

ルノアール・ピアノを弾く若い女

ピアノを弾く女性の姿はルノア−ルのお気に入りでした。

この絵はそのテ−マの早い時期の作例で、若い女の白い衣裳や床や壁面、顔や手の表現には印象主義的な技法が用いられています。

1876年第2回印象派展に出品された作品です。

内緒話 1875年

ルノワール・内緒話

印象派の技法を屋外の人物画の中に見出そうようとしたルノアールは、モデルを木陰の土手の端に配置することによって、降り注ぐ陽光が木々の葉にさえぎられた木漏れ陽がモデルの衣服に作る光と陰を強調しています。

光による色の変化を捉えようとする試みは一見するとまだら模様を作り出して非難されたこともあったそうです。

一枚の新聞を一緒に読む若い男女の親密な情景は、18世紀にヴァトーによってフランス絵画に取り入れられた詩的恋愛画の近代的表現です。

じょうろを持つ少女 1876年

ルノアール・じょうろを持つ少女

1870年台の半ば以降、ジャルジュシャルパンティエがルノワールの作品に興味を持ったおかげで、ルノワールは次第に裕福な顧客を得ました。

彼らは自分たちや家族の肖像をルノワールに注文し、この「じょうろをもつ少女」もそういったつながりから生まれたものです。

ルノワールが、自分がより気楽に感じられる世界を描くときの自然さや快活さを捨てて、この少女の持つ繊細さや彼女の気取った魅力を記録しているように思われます。

イレーヌ・カーン・ダンヴェルス嬢 1880年

ルノワール作「イレーヌ・カーン・ダンヴェルス嬢」

ルノワールが描いた少女像の中でも、はにかんだような優しい表情、豊かな髪が印象的なこの可憐なこの作品のモデルのは少女、ルノワール芸術の良き理解者であったユダヤ家系の銀行家ルイ・カーン・ダンベールの娘です。

透き通るような白い肌とバラ色の頬、つぶらな瞳、そして整った横顔・・・と、本当にルノワールがもっとも得意としたタイプの作品です。

画家として修行を始めたばかりのころに師に「自分を楽しませるだけのために絵を描いているみたいだね」といわれ「もちろんです。もし絵が楽しくなかったら、絶対に描いていません」と即答したというエピソードが物語るとおり、彼の絵には、明るく透明で生き生きとした人物が華麗な色彩で描かれております。

モデルの肖像 1880年

ルノアール・モデルの肖像

1875〜80年くらいのルノアール作品にしばしば表れる女性は、お気に入りのモデルだったニニ・ロペスや恋人でもある女優ジャンヌ・サマリー、モンマルトルの少女マルゴ達です。

ルノワールは、特にニニ・ロペスの横顔の素晴らしさに魅せられていたようです。

80年頃から愛好者が増え始め、肖像画の依頼がくるようになりました。
また税官吏ショッケ、出版業者シャルパンティエ、著名な作家ドーデらと知り合うことで、彼らの家に滞在して制作したり家族たちの肖像画を描いたりもしました。

ばら色と青 1881年

ルノアール・ばら色と青

1881年のルノワールは春のアルジェリア旅行、夏のベラールの別荘滞在、秋のイタリア旅行と方々に出かけ落ち着きません。

イタリアではヴェネツィア、フェレンツェ、ローマ、ナポリ、カプリと回って、ラファエロの絵やポンペイの壁画に感銘します。
この頃のルノワールは古典絵画の勉強をしているのですが、同時に注文制作のわずらわしさを逃れる意図もあったようです。

この肖像画は彼の後援者の一人、銀行家ダンベールの娘です。
絵の題は姉妹の一方がピンク系、他方がブルー系で服装を統一している対比を表したものです。

青い帽子の少女 1881年

ルノワール『青い帽子の少女』立体複製画

ルノワールは、1881年の夏、ノルマンディ海岸のディエップ近くにある友人の外交官ベラールの別荘に行きます。
この時にはブランシュ博士の家にも滞在し、息子のジャック=エミールに絵を教えました。

この時隣の別荘に来ていたパリの弁護士の娘ジャンヌ・アンリオがこの絵のモデルです。

ルノアールは印象派の画家の中でも特に子供の絵を多く描いた画家です。
子供の純粋な愛らしさ、すべての可能性を秘めた天真爛漫さを表現することを得意としました。

「青い帽子の少女」は、それらの中でも傑作の一つです。

2006年09月10日

白いエプロンの少女 1884年

ルノアール・白いエプロンの少女

モデルの少女は、ルノアールの作品を早い時期から熱心に収集したポール・ベラールの娘です。

彼は最初大使館付きの書記官でしたが、その後銀行家になります。

ルノワールとは1879年頃友人の紹介で知り合い、夫婦ともに彼の作品の魅力に取りつかれました。

1884年にはノルマンディーのディエップ近くのワルジュモンにある彼の別荘で、3人の娘たちを描いた作品を残しています。
その中にも登場するこの少女は3女のリュシーで、当時4歳でした。

麦わら帽子を被った若い娘 1888年

ルノアール・麦わら帽子を被った若い娘

一時のアングル風の時代から晩年のルノア−ル独自の豊かな色彩の世界への展開を見せ始めた頃の作品です。

豊麗で健康な女性美と官能的な生命感が強く出て来るのは、神経痛の発作という画家自身の肉体的な衰えの逆作用かもしれません。
また家族の生活に強い関心を示し家族をテ−マにした絵を多く描く様になります。

花籠を持った少女 1888年

ルノアール・花籠を持った少女

1880年代のルノアールは、印象主義の技法を保持しながらも伝統的な古典主義絵画の技術を取り入れています。

「花籠を持った少女」には印象主義的な筆触も残っているようですが、当時サロン展などで流行していた肖像画の流儀も見ることができます。

油彩によるエスキース(習作)が2点残っていて、その内の1点を1987年11月のクリスティーズ社のニューヨークでのオークション(競売会)で日本の蒐集家が7億円で落札しました。

読書をする二人の少女 1891年

ルノアール・読書をする二人の少女

1886年頃からルノアールはドガ、モネ、詩人のマラルメらと女流画家モリゾの家に出入りし、夏にはモリゾのメツィーの家に滞在して制作活動をしています。

ルノアールと同年のモリゾはパリでマネに執事した女流画家で、都会的で軽やかな情感と明るい色彩の絵を描きました。

彼女はマネの弟ウジェーヌと結婚し一人娘がありました。
この絵の左の少女はその娘ジュリー、右の少女は従妹のポールといわれており、モリゾ家に滞在中に制作された作品であると思われます。

ピアノに寄る娘達 1892年

ルノアール・ピアノに寄る娘達

この時期のルノワールの多くの絵画は、二人の少女がピアノを弾いたり本を眺めたりと一つのことに熱中している場面が多く見られる。

少女達は周囲の視線をまったく気にせず自分たちの行為に没頭しており、優しさと慈愛のまなざしで見つめられていることが感じられる。

この頃になると、厳格な線を主体としたルノワールの手法は既に姿を消しておりフォルムが互いに溶け合った感じとなっています。

2006年09月20日

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